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卓球特集

「石田眞行」(2) 指導者は自分の信念を持ち続けること!!

201  指導者として、コーチとしての重要な資質はいくつかある。

 リーダーシップがとれること、選手に愛情を注ぐこと・・・ などなど。

 そして、我慢強い、つまり忍耐力があることも欠かせぬ資質であろう。

「小さい子供を教える時に苦労するのは、1回言って、2回言って、3回言ってとよく言うじゃないですか。そういう日本古来の言葉があるけど、本来は指導者がこれでもかというくらい言わなければいけない。それをあきらめないというか忍耐強くする。例えば、田添にあることを教えたとします。1週間たってまだしてない、2週間たってもしてないでは、あまり効果がない。1週間たってまた同じことをいう。そこでどういう反応するか。それが指導なんです。ずっと言い続けなければいけない」と話す。このあたりが小学生の指導者としての資質である。

「弱点は言い続けながらなおしていくが、長所を早く伸ばす方が簡単です。同じことを教えても選手は同じようにならないです。だから、言い続ける方がいいんです。

そして指導者は自分の信念を持ち続けること。ここだけは譲れないというものを。今までたくさんの方々に影響は受けました。しかし、東山高校の今井先生が入ってきても、マリオイズムが入ってきても、ここは石田イズムという譲れないものがずっと残っていかなければいけない。だから、私はあまり本を読まないというか、その人の思想が書いてあるものは取り入れないようにしています」

 指導者としていろいろな人から勉強する姿勢が大切。だが、すべてをまねしていくのではなく、自分の信念を持ち続ける。これが石田氏の指導者としての根底にある。

 ところで、石田氏が卓球と出会ったのは小学4年生の頃。実兄が中学校で卓球部に入っていたこともあり、近くの公民館で近所の人たちと楽しんだ。中学で部活に入り、高校は北川工業(現・府中東高)に進んだ。高校3年の時に中国大会で優勝。早稲田大学を受験したが不合格となり、3月末に試験があった福岡大学を受験し合格した。

 福岡大学で北原先生と出会う。

「北原先生は、私が高校3年の時、名古屋の世界選手権で男子監督をしましたから、この人は偉いんだなと思いました。先生とはものすごくウマがあったというわけではなかったと思いますが、先生の言うことはよく聞いていましたね。だから、指導者になった当初の練習はすべて北原イズムでした。

『フォアハンドは全コースに打たなければならない』

『打点は一番高い所を打たなければならない』

『後ろに下がるな、前で打て。スピード、スピン、パワーだ』

など、その当時からバックハンドも振っていましたから時代の先端をいっていたと思います」

 高校・大学時代に石田氏の卓球の基礎が築かれたことは間違いない。

 高校、大学で選手として卓球を学び、25歳で体を壊し引退するまで続けた。

 そこから、なぜ指導者としての道を進むようになったのか。

 この続きは、また次回に紹介しよう。


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「石田眞行」 数少ないプロフェッショナルの一人!!

 日本の中に本当の意味でプロフェッショナルといえる卓球のコーチは数少ないだ。石田眞行氏はその数少ないプロフェッショナルなコーチである。

102  福岡県の石田卓球クラブ代表、希望が丘高校総監督、そしてナショナルチーム(NT)ではジュニアとホープスのコーチを長年務めている。

 石田氏が育てた選手は数多い。その代表的な選手は岸川聖也(スヴェンソン)だ。北京五輪では日本代表として準決勝進出に貢献した。水谷とのダブルスは来年、横浜で開催される世界卓球選手権大会でのメダル獲得が期待されている。

 さて、数々の選手を育て続けている石田眞行氏は自分のことを楽天的と分析する。

「自分は3番手。前面には出ないで側面からバックアップする支える人間、それも2番手ではなく3番手なんです」と謙遜するが、「楽天的だから子供たちとも合うんです」と付け加える。

 本業である石田卓球クラブでは奥様と二人三脚、希望が丘高校では総監督であるが、監督は子息の石田真太郎先生が受け継いでいる。NTではコーチでありもちろんその上に監督がいる。

たぶん、1番手の時と3番手の時をその状況によって使い分けができるのだろう。

 長年、石田氏とおつきあいをさせていただき、いろいろなお話をする中で、石田氏の口から人の悪口や批判的なことをまったく聞いたことがない。誰にも人当たりがよく、決して威張った態度や言動を見せない人である。

おそらく指導をする際、小さな子供でも、中高生でも、NTクラスでも対等に話をし、人のことを差別したり、区別したりしないのだろう。だから、石田氏に教わる人は素直に聞き入れ、素直に成長してゆくのだと思う。

 指導者、コーチ、先生というと、威張っていたり、怒鳴ったり、虚勢を張ったりすることがある。もちろんそれは指導する際のテクニックであったり、選手のことを考えた行動の一つなのだが、そういった駆け引きが石田氏には少ない。つまり、いつも真正面から選手と向き合うコーチなのだ。

 そこに石田眞行の魅力が隠されている。

 数回にわたり、石田眞行氏の魅力について触れていきたい。


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無名のアスリート 越崎 歩(4) 「誰にでもチャンスはある」

31  平成14年度全日本選手権大会は、1218日から23日まで東京武道館で開催された。4回戦まで勝ち進んだ越崎の相手は前回準優勝で優勝候補のひとりだった小西杏。その小西を4-0のストレートで破ったのだ。

「そこまで行けたことで精神的にすごく満足していたので、ここで一発、小西さんに勝とうという気持ちはありませんでした。だから全然緊張しなかったし、ボールも素直なのでやりにくくなかったので、勝っちゃったみたいな感じでした」

 続いて長久保真弓を4-2で破り初のランク入りを果たす。

「小西さんに勝ってもランクに入れていなかったらNTにも入れなかっただろうし、海外の機会も少なかったと思います」

 確かにそうである。小西に勝ち、そして次も勝ちランクに入ったことでその後にチャンスを与えられることになる。もし、小西に勝ってもランク落ちをしていたら、その後のチャンスはほとんどなかっただろう。全日本のランキングは一つの基準、一流の証なのだ。

34 「自分の意識が変わりました。その頃は言われたことをやっているだけで、自分の戦術で自分の考えとかやらなければいけないこととか、そういう能力がたぶん高校時代から低かったと思います。でも、それからは自分でももっと勝ちたいという気持ちが出てきたので意識が少し高くなりました」

 勝つことで、全日本で小西を破りランキングに入ったことで自らの意識を変化させたのである。

 それから4年半、与えられたチャンスを無駄にすることなく、一歩ずつ着実に歩んできた。そして、国内選考会で優勝するまで実力を高めてきたのである。

「本当に誰でもチャンスはあるなと感じました。もちろん運はあったし、中国電力に入れてもらって、コーチに教えてもらって、監督や会社の人たちを含め、いい環境でやらせてもらえることがすべてです。

日本リーグで活躍している人は小学生の時から全国で活躍して、中学校でも、高校でも大学でも活躍している人ばかりです。それでも今こうやって会社入って、23、4、5才になってから同じ舞台に立てているので、“ああ、誰にでもチャンスはあるな”って思います」

35 「課題は3球目、攻めること。ラリーで負けることが多いので前半の1本目、2本目で自分が仕掛けていって相手を崩していかないといけない。普通のカットマンみたいにまず打たせて、ここで変化をつけてというパターンがないので、もっといいサーブを出さなければいけないし、日本リーグで何回もやっている人はわかっているので、ストップを多めにして打たせてくれないし、あえて打たせてからとか、みんなやってきます。それを一つ自分で越えないと勝てないと思います」と話す。32 さらに、「相手のボールが自分に合わない時に対応できない。合う時は自分のペースが作れるけど、ちょっと崩されると対応できない。試合の中で自分で思い切って戦術変更ができない。そういう不足だらけで、勝てそうな試合も結構あるんですけど、まだまだ力不足です」と課題はまだまだ山積みだ。

「今はチャンスがもらえているので、また、会社の理解もあるので、その機会があるうちは、上を目指したいと思います」

 よく早咲き、遅咲きと形容することがあるが、越崎はまぎれもなく遅咲きの選手である。高校まで実績がなくとも努力次第では日本のトップになれるというお手本だ。

“可能性はみんな一緒、それがいつ花開くかどうか”

越崎のような選手が数多く出現することを願いたい。

 

◆さて、自らの手で代表の座を射止めたアジア選手権で越崎は、女子団体でネパール戦に出場、見事に勝ち星をあげた。出場の機会はその一度だけだったが、日本女子チームは銅メダルを獲得。シングルスは3回戦に進出、シンガポールのリ・ジャウェイに敗れベスト32に終わった。

 この経験は越崎をまた大きくさせたことと思う。さらなる高みを目指し、己のスタイルを完成してほしい。

 ●…ところで、一般的には高校を卒業したら大学へ進学する選手が多い。それが普通だろう。だが、ここ数年の女子の全日本チャンピオンは帰化選手を除き、高卒だけである。平野早矢香、梅村礼、坂田愛、佐藤利香らだ。これら卓球に対する志が高い選手は高校卒業後、卓球だけの道を選んでいる。

 同じようなことはお隣の韓国でも行われている。というより、韓国はトップに立とう、世界で活躍しようという選手は100%、実業団チームに入る。実業団に入れない選手が大学に行く。つまり大学に行くようでは世界では通用しないと考えているようだ。

 次回は、韓国の卓球に対する考え方、強さの秘密に迫ってみたい。


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無名のアスリート 越崎 歩(3) 「大胆なスタイル改革が成功」

21  もともと進学ではなく、就職希望だった越崎歩は、吉田先生の推薦もあり中国電力に内定する。

「高校の3年間すごく努力したわけでもないのに中国電力に入れてもらえて、今思えば、本当に運が良かったと思います」

 中国電力の選手は、一般社員と同じように朝8時50分から午後3時までそれぞれの配属部署で働いている。定時の5時20分よりは早く仕事をあげてもらえるが、フルタイムで卓球に専念できるチームが増えてきている中、中国電力はこのスタイルを続けている。

「普段は朝、会社に行って、でもあまり行っていないので迷惑かけながら支えてもらいながらやるのですけど、3時まで仕事して4時から練習する時は、たぶん朝から練習する時より体もきついし、明日も会社だと思ったら急いでお風呂入って準備して、という繰り返しをしています。フルタイムで朝から練習しているチームを羨ましく思う時もありますね。ただ、試合前は合宿とか入れてくれるので、試合に対して調整できないとかはありません。

それよりも会社にいないとわからないこともあると思います。また、ホームマッチなどでも応援に来てくれるのは、私たちが会社に行って、毎日話しているからだと思います。普段、接してくれる方が応援してくれるのと、とりあえず会社だからと来てくれるのでは、自分が感じるものも違うなと思うんです。2~3年で職場が変わるんですけど、何年も前に上司だった人もいつも来てくれて、声をかけてくれるのは会社に実際に行って務めているからだと思います」

 

22  社会人としての競技生活スタイルはチームによって様々だ。フルタイムで卓球に専念できるチームが増えてきているが、中国電力にはこのスタイルで日本一になってもらいたい。

「働いていろいろな人に会うのは自分にはプラスになっていると思います」

 何でもその道を極めるということは、専門性を問われるが、同時に人間性を問われるのだと思う。仕事を通して人と出会い、それが卓球にも活きてくる。

 ちなみに越崎は現在、カスタマーセンターでオペレーターをしている。

 さて、社会人となった越崎。毎日、仕事と卓球に必死な生活をおくる。

「最近は、高校から会社に入る人が少ないが、逆に私みたいに高校時代に成績がなくて、クセとかもあまりなくて、だから、わたしは言われたことを言われたとおりにできた。それが全部プラスかと言ったら、自分の意見がないことがマイナス面になることもあるが、何も知らない高校生だから言われたことをやろうとする、できたのかなと思うんです。

そういう方が化けやすいというか思い切って変われるかもしれません」

実績も実力もなかった越崎がチーム戦に出る幕はない。とにかく言われたことを必死にやったから自分が進化したのだと話す。彼女が純粋で素直だからこそできたのかもしれない。

 具体的にはカットマンでありながらドライブを多用するというスタイルの大胆な改革に取り組んだ。

「最初は箸にも棒にもかからなかったけど、コーチとの巡り合いもあって、モデル的には朱世赫みたいな攻守のバランスがある今までにないカットマンを目指した」と橋本監督は話す。

 言葉でいうのは簡単だが、今までやってきたスタイルを大きく変更するというのはなかなかできないことである。特に実績があればある程、それには勇気がいる。越崎の場合、高卒で実績がなかったということが幸いしたのだろう。

23 「一応、カットマンなんですけど、たぶん特徴がないカットマンだった。すごく粘るわけでもないし、打つのもほかの人より打っていたといわれてもそれはたぶんスマッシュで、確率が高いわけでもないし、ミスも多いしという卓球を、まずフォア打ちからなおされて、ドライブを教えてもらって、カットだけでなく、サーブを持ったらドライブ、相手がつっついたらドライブというスタイルにしてもらった」

 だからといって、すぐにその成果が表れるはずもない。2年目の後半頃からチーム戦に起用されるようになったが、勝つことができない。チームに貢献できない日々は長く続いた。

 だが、入社3年目の全日本選手権で越崎に大きなチャンスが訪れたのだ。それは、越崎のその後の意識を変えたほどの大きな、大きな出来事だった…。


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無名のアスリート 越崎 歩(2) 「高校まで全国的には無名だった」

12  越崎歩は福岡県の出身。

 卓球を始めたきっかけは、中学校で卓球部に入っていたお兄さんがいたから。その中学校が毎週おじゃまをしていた豊津クラブに行く時に、たまたまついて見に行った。小学5年の時である。

「監督に誘われ、じゃあやってみようか、というノリでクラブに入りました」

 越崎は最初からカットマンだったと話す。「その時たぶん、あまりカットマンがいなくて、やるかといわれてカットマンになったと思います」

 小学校では運よく全日本ホープスに出場。「予選でぎりぎり残って行けました」

 だが、中学校1、2年の時は地区大会で負け、県大会にさえ出場していない。3年では県大会に出場するも県大会では早々に負けかけた。

「もう駄目だと思いましたね。そこから逆転して勝ち、そのあともポンポンと勝ち進めたので、自分の中ではその時の2回戦くらいが印象に残っています。そこで負けていたら、今の私はないですね」

 苦しい試合を逆転で勝利し、その後は順調に勝ち進み県大会で優勝した。

 そして、九州大会では決勝戦で潮﨑由香(現十六銀行)に敗れるも2位で全国出場を果たす。

 浜松で開催された全国中学校大会。越崎は3回戦まで駒を進めたが、のちに富田高校で後輩となる射場山に敗れベスト32に終わった。

 本人が話すように、県大会で敗れていたら今の越崎はなかっただろう。だが、県で優勝し、九州で2位、全国でベスト32というのはかなり立派な成績である。

ピンチを自らの手で切り開いたことで、チャンスが生まれたのだ。

 トップ選手と話をしていると、こういう話はよく聞く。トップ選手でも1度くらいは越崎と同じような経験をしているということだ。ただ、ピンチを切り抜けて勝ち進むには実力がいる。実力があるからこそピンチも乗り越えられる。中学生としての越崎には、それ相応の実力が蓄えられていたのだと想像できる。

 全国中学校大会に出場し、ベスト32に入った越崎歩。今から11年前のことである。当時、この大会は取材しているが、残念だが越崎のことは印象に残っていない。男子は愛工大附属が全盛の次期。女子は高蔵が2度目の優勝を飾ったが、2位となった寒川の印象が強く残っている。

 さて、この越崎の活躍を見逃さなかったのが、富田高校の吉田國男先生である。

「全国に出たことで吉田先生が声をかけてくれたんですけど、高校に入る時は自分の卓球がどうのこうのと深く考えていなかったと思います。ただ憧れみたいな感じで、岐阜に行きました。遠くに憧れがありました」

 どちらかというと安易な気持ちで進学を決めたようである。だが、越崎にはすぐに現実を突き付けられることになる。

「入学する時の選抜で富田が初優勝しました。すごいところに来ちゃったなと思いましたね。先輩は強いし、同学年の樋野も強いし、自分が2年になっても強い後輩が入ってくるし、自分の出る幕が全くありませんでした」

 結局、越崎は3年の時にはベンチ入りはするも高校の3年間、団体戦に出場することはなかった。つまり、全国的には全く無名のまま終わったことになる。

「とにかくみんなが強く、かといって自分が弱いからもっとやらなきゃという意識も低くて、すぐに3年生になっていました。高校の3年間は本当にきつくて、しんどいとしか思っていなかったが、今考えると、それは単純に自分が頑張っていなかっただけだなと思えます」と高校時代を振り返る。

しかしながら、恩師の吉田先生は、「守備力にしても攻撃にしてもある程度のことはできたのですが、あの当時のメンバーは5、6人そろっていましたから…。しかし、彼女はとにかく人間的に素晴らしい子でとても真面目でしたね。お世辞じゃなく本当に立派な子です」と越崎のことを絶賛する。

11  高校時代、真面目に取り組んできたことが、社会人となった時に大きな下地となっているようだ。この辺りも社会人になってから花開いた要因の一つだろう。

 高校を卒業した越崎は中国電力に入社する。ある程度の下地はあったにせよ、高校では全く無名。社会人との実力の差は歴然としている。

 この状況からどのようにして日本代表になるほどの選手に成長できたのだろうか。

 さて、次回はいよいよその核心に迫りたい。


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無名のアスリート 越崎 歩(1) 「選考会で優勝しアジア選手権日本代表をつかむ」

01  中国電力で活躍するといえば、福岡春菜が有名。2006年の世界団体で福原、金沢らと共に日本の3位入賞、銅メダル獲得に大きく貢献している。

 その中国電力でひときわアグレッシヴなプレーをする選手がいる。

「越崎歩」だ。

 今年度のNT(ナショナルチーム)候補選手として、各ITTFプロツアーに出場している。4月に行われた日本リーグビッグトーナメントで福原愛を破り、そのすぐあとに遠征したチリオープンで、その前週にブラジルオープンで2位となった福原を再び破った。

そして、7月に行われたアジア選手権大会選考会にて見事1位となり、自らの手で代表権を獲得。世界ランキングも二桁の95位まであがり、いま、もっとも勢いのある選手である。

 越崎の戦型は、カット型。つまり一般的には守備型であるが、どの位置からでも攻撃に転じ、積極的に攻めたてるのが特徴である。

 トーナメント戦とは違い、選考会は1次リーグ、決勝リーグという具合でリーグ形式で行う場合がほとんどである。つまり、ほぼ全員と対戦するため、運によって左右されづらい。逆に言うと本当に実力がなければ、選考会で1位にはなれないのだ。

 しかも、カット型は戦型的にもリーグ戦で上位に食い込むことは極めて困難である。なぜなら、攻撃選手の倍の動きを何試合もこなさなければいけない。また、カットには強いという選手が必ずいて、そこを乗り切ることが難しいからである。

 今回は、小西、田勢、梅村といった選手を3-2の接戦で破ったのが大きい。また、藤井、樋浦、岸田、伊藤といった強豪をストレートで破ったのも見事だ。

 実際にここ数年、こういった選考会でカット型の選手が代表(1位)になったという記憶はない。選考会での優勝は、越崎が大きな地力をつけたことを意味している。

そして、これはまさに“特筆すべき出来事”なのである。

「最終戦のまえの小西さんに勝ったら決定というのを試合が終わり勝った時に言われました。それで、えっ、て驚きました。本当に。私は知らなかったです。ほかの人は計算していたかもしれないですけど、私はそこまで気が回らない。人かどうこうではなく、とりあえず自分が頑張って勝たなきゃって…。逆に聞いていた方が、勝ったらいけると考えた方が、たぶん変に堅くなったと思います」と振り返る。1位になろうとかじゃなく、一戦一戦全力で勝てるようにという感じでプレーしたと言う。

02  中国電力の橋本大二監督は、「名前の如く、歩というか、一歩ずつ前に進んできてチャンスをもらったことによって今回は成果として出た。本当にコツコツやってきたことが実りあるものになってきたのではないかなと思う。まあ、頑張り屋さんですよ」と越崎のことを誉める。

「ただ、日本代表になったけど、代表として行くからにはこれからが大変。これで満足することはないし、日本のために頑張らなければいけないし、自分のために頑張らなければいけない」とつけ加え、本番での活躍を期待する。

 アジア選手権大会は9月17日から23日まで中国の揚州で開催される。越崎は団体とシングルスにエントリーされている。

03 「プロツアーには結構ださせてもらっているが、ちゃんとした日本代表は初めてなので、雰囲気とか、いきなり目標という前に、もう少し自分で自信をつけなければ自分のプレーができないと思う。勝ちたいし、勝たなければいけないけど、とりあえず自分のプレーをするために、技術的には全部レベルアップしなければいけない。強い相手に対し、自分のプレーができない時でも対応できるようにしたい」と日本代表として自分がすべきことを見据え、抱負を語った。

 本番までは約2週間。代表メンバーは事前合宿を経て本番を迎える。

 アジア選手権では、“日本の越崎ここにあり”と各国にインパクトを与えるようなプレーを期待する。

 さて、脚光を浴びつつある越崎選手だが、実は高校時代までは無名の選手だった。なぜ、無名の越崎選手が日本代表にまで登りつめることができたのだろうか。

次回は、このあたりを探ってみたい。


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大嶋雅盛先生 「一に勉強、二に掃除、三に卓球」

04_42  今年の5月にクロアチアのザグレブで行われた世界卓球選手権大会(個人戦)に日本代表として女子選手7名中4名を輩出したミキハウス。平野早矢香、樋浦令子、藤沼亜衣のミキハウス社会人選手とミキハウスJSCの石川佳純である。

 今回ご紹介するのは、四天王寺中学、高校、そしてミキハウスの監督を務める大嶋雅盛先生。

 ミキハウスが卓球に力を入れだしたのは今からちょうど10年前になる。

「中学3年、高校3年、ミキハウスで4年。10年はかかるとは思っていましたので、10年計画で選手を作ろうということでお願いしてきました。これまでオリンピックには出ましたが、その先ですね…」

 完全に世界を意識した体制、環境作りである。この10年間である程度の成果は見せている。しかしながら、オリンピックに出場しただけでは大嶋先生はもちろん満足などしていない。「その先は僕の器がないから…」と謙遜するが、世界で勝つことの厳しさ、難しさを身にしみて感じている数少ない日本人のひとりである。

 そして、その難しさを知っているからこそ、そこへの挑戦を続けているのだろう。

00_24  さて、10年の一貫指導といってもいいところもあれば悪いところもあるはず。まして、中学生といえばまだ子供だ。

「中学生の時は、言われたことを全部守りなさい、矛盾があっても守るんだよと教えます。高校生は、半分は自分の意見を言いなさい、半分は守りなさいと教えます。社会人になるとすべて自分で決めて、自分で責任がとれるようにと。簡単にいうとそんな感じで分けています。もちろん社会人にもいろいろなことを言いますが、それは命令ではなく自分の意見を言っているわけで、それで自分でどうするか決めさせます」

 この理論はきわめて単純でわかりやすいが、日々の中で接し方を使い分けていくのは細心の注意が必要になる。このあたりはやはり長年の指導経験がなければ難しそうだ。

「選手が理解するまでしっかり話をします。特に中学生は義務教育の段階だから必ず守れ、ではないけど、言われたことに対しては忠実にやっていかなければいけない。まだ、教えられる方だからね。高校生になるとある程度自我ができてくる。自分の意見も言ってこい、お互いに話し合って決めようやといいます。

だから、接し方が違うというのはみんなも理解しているんじゃないですか。そういうことだぞということは話しているつもりです」

 一貫指導の利点といえば、同じ選手を長く指導し続けられるということになるが、「一貫がいいのかどうかわからないけどね。嫌がっている選手もいるし…」と笑い、「利点は環境に慣れなければいけない時間が要らないということぐらいじゃないですか」という。

これまで一貫指導をしてきて、いい部分と悪い部分は十分にわかっているはずだが、大嶋先生はあまり細かいことを語らない。それは選手によって様々だからだ。

 だが、中・高・一般の各世代の選手のどこに多くの比重をかけているかという問いかけに対し、すべてに100%と答える。33%ずつで足して100%ではない。中学も、高校も、一般もすべてに100%を注いでいます」

ところで、これまでたくさんの名選手を育ててきた大嶋先生だが、その指導方針は年々様変わりしてきたと話す。

「今は、一に勉強、二に掃除、三に卓球ですよ。勉強ができないと練習させてもらえない。勉強の基準値を作り、それをクリアしないとたとえ石川といえど練習できない。二番目の掃除とは、学校でのキチンとした生活ができなければいけないということです。三番目に卓球ですから、今の子は結構勉強できますよ」

02_88 これが、現在の大嶋先生の大きなビジョンであり、根幹といってもいいだろう。長い指導、多くの経験の末、この考えに到達しているという。

 そして、長年の指導により導き出したもう一つのキーワードが自然

「だいたい自然に任せている。あまり無理にこうしようとか、策を講じようとかすると、結果的にその時はうまくいってもひずみはどこかにある。自然の中でやっていくのが自分にとってはいいみたいですね」

 一言で「自然」といっても人それぞれに感覚の違いや格差がある。大嶋先生はレベルというか次元が高い上で「自然」を心がけているのだろう。

 大嶋先生は現在、四天王寺から出向し、ミキハウスの練習場で一日中、卓球だけをみている。ミキハウスの選手の練習を午前、午後こなし、そのあと学校から帰ってきた四天王寺の高校生、中学生の指導を行う。朝から晩まで卓球漬けの毎日だ。それでも「こんなありがたいことはない。好きなことを仕事にさせていただいて幸せですよ」と話す。しかし、いくら好きとはいえ毎日約12時間、365日、ほとんど休みもなく続けるということは並大抵でできることではない。

「ただの球ひろいのおじさんですよ」と笑い飛ばすが、選手のためにここまで尽くせる指導者がどれだけいるだろうか。

 そして忘れてはならないのが家族の理解と協力。あることをやろうとすれば、少なからず家庭が犠牲になってしまうことはどの世界でも共通している。

大嶋先生の一番の理解者である由美夫人は、

「夫婦の会話は95%くらい卓球です。好きなことなので喜んでやっているから苦労だと思っていないと思いますが、なかなか目指すところまで行けないので、どうしたら、どうしたらとずっと考えてやっているみたいですね。これからも健康に気をつけて頑張ってほしい。できるだけのサポートをしたいと思います」と気遣う。

03_62 さて、大嶋先生にとって卓球とは…。

「人生そのものでしょ。好きな卓球を仕事にさせていただいているのだから、こんなにありがたいことはないです」

最初にお会いしたのはもう十数年前になる。大嶋先生は覚えていないだろうが、チームの写真を撮らせてほしいと頼むと、断られた。正直、怖い先生だなぁとその時は思った。その後、いろいろな会場でお会いするたびに、次第に面識が持てるようになった。

 一見、強面(こわおもて)だが、かなりシャイな面があり、なかなか本音を話してくれない大嶋先生。この先生から話を聞き出すのは難しいが、その一部だけでもお伝えできたかと思う。

「ぼくらよりいろんなことを知っている人はたくさんいる。熱心な人はたくさんいる。僕なんかそんな熱心じゃないもの(笑)。逆にいろんなことを教えてほしいですよ。すごい人がみんなで集まって話をするとかね。例えば異分野の人も大事だと思う。発想というものはとんでもないところからでてきたことが、すごくためになることが多い。同じ業種もモノが集まってもすごい発想はない。とんでもない人がとんでもないことを言う。そういうのがいっぱいあるといいですよね。だから、教えてほしいですよ」

 日本の中に本当にプロフェッショナルだなと思える指導者・コーチは少ない。大嶋先生はその数少ないプロフェッショナルなコーチの一人だと思う。

 “卓球は人生そのもの” 大嶋先生の挑戦はまだまだ続く。


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魅力たっぷり『石川佳純』 

01_103  有名な卓球選手といえば「愛ちゃん」と答える人が多いと思う。そう福原愛はまさしく何十年に一人の逸材である。

その愛ちゃんを脅かす() 選手が出現した。

『石川佳純』(ミキハウスJSC)である。

 1月の全日本でジュニア優勝、一般で3位に入る活躍。続くジャパントップ12でも3位に入り、全日本チャンピオンの平野に肉薄する。この活躍で一躍脚光を浴びることになる。あちらこちらのメディアが反応した。

「最年少での世界選手権日本代表となるか」

 どうやらメディアの方は、最年少といったキャッチコピーが好きなようだ。

 2月26日、代表発表の会見には当然ながら多くのメディアが集まった。そして、発表の時。近藤監督が口を開く。「福原愛、平野早矢香、樋浦令子、福岡春菜、藤井寛子、藤沼亜衣」6人の名前が呼ばれた。ここまでは順当な選出。あと、世界選手権団体で活躍した金沢咲希が残っていた。

「石川佳純」

 近藤監督は、最後に石川の名前を呼んだ。会場から一瞬、どよめきが起こる。選考理由を述べたあと、目標の最後に石川に対する期待を語る。

「石川の戦いぶりに注目したい。国際経験は浅いがプラス面を出し、思い切ったプレーをしてもらいたい」

02_83   この時から、石川佳純に対するメディアの取り扱いがますますヒートアップする。

 あまりの取材攻勢に、普段通りの練習・生活ができなかったはず。大変なんだろうなぁと察する。それでも石川は嫌な顔ひとつしない。逆にそれを楽しんでいるようにみえる。

 このあたりも大物ぶりの片鱗といっていいだろう。

 

 そういいながら、自分も石川の取材を申し込んだ。その日は山口県のテレビ局の取材が入っていた。大嶋監督には、「テレビが来ているからできないかもしれないよ」と言われたが、ミキハウスの練習場に行ったことがなかったので、「それでもいいですよ」ということでお邪魔した。

 実際にはテレビの取材の後、大嶋先生は時間を割いてくれた。貴重な時間を感謝したい。「毎日、取材のスケジュール調整だけで大変ですよ」とその時話していたが、取材していただけるということはありがたいことでもある。それがわかっているから大嶋先生も快く応じてくれるのだろう。

03_61  取材をたくさん受けているのは承知していたので、かぶらないような質問を用意したつもりだった。しかし、実際は他とほとんど同じだったので、ここでは割愛させていただく。他で紹介された記事を参考にしていただきたい。

いつも驚くのは、取材での受け答え。自分の考えはしっかり持っているし、それでいて相手に気を使えるし、とても中学生とは思えない。会見で大勢の人に囲まれても物おじしない。やはり只者ではない。それでいてかわいらしいところがある。そのあたりが彼女の魅力の一つだ。

いろいろな質問の中で、「苦しい練習を進んでするほうですか?」という問いに対し、「たぶん()。おさぼりといわれるけど自分ではそういうつもりはないです」という答え。

こういう性格の人は強くなる。やる時の集中力は抜群に高く、休む時は思い切りリラックスする。そういう人は一見、さぼっているように見られがちだが、手を抜いたり、気を抜くことが一流でなければ、一流の練習もできない。その感覚を持っている人は意外と少ない。まじめな人は手を抜くことが下手で、これはある種、天性なものかもしれない。

 さて、こういった大きな期待をかけられ、「思い切ってやるだけだと思うので、悔いのないような試合がしたいです」といって臨んだ世界選手権。混合ダブルス、女子ダブルスともに2回戦で敗退した。“ひょっとしたら”という期待もあったが、そう甘くはないぞという洗礼を受けた。

「世界で勝つことは難しい。いろいろな選手がいるから勉強になる」と試合後に話していたが、その通りでまだまだ勉強だ。今回は世界を肌で感じることができたはず。さらに自分の将来をイメージすることができればよかったのではないかと思う。

04_41 「一に勉強、二に掃除、三に卓球」というのが大嶋先生の教え。世界で戦うトップアスリートとしては、練習量は多くない。だから、これからはつまずくことの方が多いかもしれない。でも、それでいいと思う。まだまだ、中学生。卓球以外にも勉強することがたくさんある。

 今後も石川は注目され続けるだろう。だが、気取らず、焦らず、素直に、自分らしく、一歩一歩、自分を磨き、さらに魅力ある大人への階段を昇っていってほしいなぁ、と願っている。


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